月末はオンガク1

今月から月末はオンガクの話題にすることにしました。今日はその1回目です。ショパンの有名なノクターン9−2についてです。

ショパンは1810年に生まれ49年になくなりました。ノクターン9−2は1831年に作曲されました。甘美なメロディーが特徴的です。左手は割と単純でズンチャッチャというリズム。

音楽にはリズムがあります。これを守らねばなんとひどいものか…ピアノも右手と左手のリズムを合わせねば整った音楽にはなりません。現代のピアニストの演奏を聴けば、綺麗な演奏が聴けます。リズムだけでなく、音色も音量のコントロールもすごい。現在では、こういった綺麗に整った演奏が素晴らしいものとされていますし、それに異議を挟むことはありません。しかし、リズムを少しずらし、テンポを揺らし、音量のコントロールを絶妙にするとあら不思議、リズムが崩れているのに素晴らしい音楽ができあがるのです。

ノクターン9−2は普通にリズムを合わせても美しい曲なのですが、なんとリズムを崩しても美しい。崩して、揺らしてさらに綺麗になると言ったらいいでしょうか。アルフレッド・コルトーという1877年生まれのフランスのピアニストの演奏がすごい。このピアニストの演奏は最初は好きになれなかったのです。録音も古いので音が良くないのです。現代的なクリアな演奏が楽しめないのです。しかし、聞いていると不思議なことに音質ではないところから演奏の素晴らしさが伝わってくるのです。多分、玄人好みの演奏とでもいうのでしょうか。いや、こういうとハードルが上がりますが、そんなこと気にせずに聞いてみるのが一番です。どのようなものであれ人それぞれの好みがありますが、一聴の価値のある演奏です。こんな風に弾けたらいいなという崩し方ですが、全てのコントロールを同時に行うのは難しい。音楽をどのように言葉で表現すればいいのかというのはひどく難しいことですが、普段聴いている演奏とは違って、そんな聞かせ方があるのかとハッと気づかせる演奏は素敵です。音楽という抽象的なものが何らかの具体的なイメージを想起させるような奥深い演奏は魅力的ですね。

リンク先の最初の約4分がノクターン9−2です。

https://youtu.be/wB4oj4sS3zA

常習?ダメ。ゼッタイ。1

アフリカの話が滞っておりますが、また!!というニュースが出たのでそれに関して少し学習。国際関係のお話は、内藤陽介さんのお話が出典です。いつも勉強させていただいております。南米シリーズ第1弾「9回目のデフォルトアルゼンチン」です。

はじめに、今日はアルゼンチンのペロニスタ誕生についてです。2019年12月にアルベルト・フェルナンデス元首相が大統領に就任しました。彼はペロニスタというアルゼンチンのポピュリズム左派です。現在のアルゼンチンの政治状況の理解のためにペロニスタというもを説明していきます。ペロニスタはエビータの夫、ファン・ドミンゴ・ペロンとその支持者に由来します。

ファン・ドミンゴ・ペロンとはどういう人なのか。彼は軍人ですが、軍功で成功した人ではなくて官僚として成功したという方が良さそうす。陸軍大学で軍事史の研究、陸軍士官学校で軍事史の教授をしていました。研究テーマは日露戦争や第一次世界大戦のドイツの総力戦です。戦術よりも動員、兵站という経済と関わるようなことを研究していました。アルゼンチンはデフォルト常習国ですが、20世紀初めの方は豊かな国でした。『母をたずねて三千里』というのがありますが、あの主人公マルコが貧しいイタリアからアルゼンチンへやってくるというのは、当時の状況を描き出しています。第二次大戦くらいまでは豊かな農業国でした。これを工業化して、貧富の差を解消し国民統合が必要だとペロンは考えるようになりました。そして1939年から41年までムッソリーニ統治下のイタリアへ駐在武官として赴き、開発独裁のような好景気を見てペロンはアルゼンチンに帰ってきます。43年に帰国後陸軍次官となりさらに国家労働局次長に就任し、改組後の労働福祉庁では初代長官に就任します。ペロンはもともと軍の動員について研究していたこともあり、当然工業化し、国民を統合し大国化していくことを考えていました。当時は社会主義が人気のあった時代でもありますが、アルゼンチンでも労働運動や組合が誕生していました。労働組合は左派的な労使対立型ではなく、労使協調型でありました。ペロンはそういった組合を取り込みます。しかし、共産主義には強く対抗します。コミンテルンが世界共産主義化を狙っており、それは国家を転覆させる動きなので、抑えにかかります。労働運動は共産主義と結び付きやすく弾圧される立場です。世界恐慌1929年あたりまでは労働者の待遇はひどいものですが、あまりにもひどいと帰って革命が起きてしまいます。だからこれを取り込み、労働者の生活の改善を図ります。労働法などの整備をします。ちなみに、日本では1911年に工場法が誕生しました。しかし施行は1916年まで見送られます。待遇改善ですが、今から見るとひどい…

44年にエデルミロ・ファーレルが軍事クーデタを起こし、ペロンは陸軍大臣兼副首相に就任し、第二次大戦下の外交を仕切ります。アルゼンチンは農業国というのは上で軽く触れましたが、対戦中も農作物を輸出して外貨を稼ぎます。そのためには「中立」でいないといけないのです。ですから、連合国にも枢軸国にも小麦や牛肉を売っていました。イギリスとドイツにですね。しかし、連合国側からのアメリカから圧力があります。ペロンはこれをなんとか振り払いながら中立を守ります。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかないので、ドイツの敗戦が濃厚になってきた1945年3月27日に連合国側として宣戦布告します。兵隊を送らなくて良いギリギリの段階だそうです。5月の頭くらいちょうどゴールデンウィークあたりにドイツが降伏ですからね。ペロンはアメリカのいうことを素直に聞く人間ではなかったので、1945年10月にアメリカの支援を受けたエドゥアルド・アバロスによる軍事クーデタで捕まります。この時にペロン支持の労働組合が抗議してゼネストに突入です。ここでエビータ(彼女です。DJとか歌手してました)がラジオでペロンの釈放を訴えます。大衆の支持によりクーデタは失敗し、ペロンは釈放、大統領選挙に勝利します。しかし、ペロンは軍人なので、政党の支持を受けておりません。そこで、労働組合を組織したように政党を組織します。これが正義党と言いますが、その支持者たちがペロニスタの原型です。続きはまた明日。今日はここまでです。

論考3

続きです。前回はレポート(どちらかというと文系よりのレポート)が、元ネタに沿うということを肯定してきました。今日はこれを発展させます。

レポートが元ネタである参考文献に沿っていてかまわないと思っています(これを書いている今でさえまだ若干の後ろめたさはありますが)。何故新しいものの創造でなくて良いのかです。結論は前回のところに書いてありますが、『伝言』が重要だからです。

伝言とは継承と言い換えても構いません。レポートは学校で課されることがまず初めですね。会社やそのほかの組織でも課されることがあるでしょう。レポートは報告であり、これが伝言です。当たり前のことを言ってるだけではないかと、突っ込まれそうですが、ここが重要なのです。それまでの知識や経験、新しい実験の結果、こう言ったものは伝える必要がある。学問の世界もそうで、伝言がうまくいかなければ新しい知見に立てず、いつも同じところをぐるぐる回っているだけになってしまいます。そこで必要なことが、伝言・継承です。知識・経験・結果を後世に伝える。

人間は動物であるという前提に立ちます。人間を除く動物には伝言・継承というものがあるのでしょうか。簡単なものはあるかもしれませんが、もしあったとしたら、今とは違った世界になっているはずです。人間の場合は意図的に伝言を行なっています。これは動物とは異なる点です。文字を持たない民族の間では、口承というのがあります。人類史を振り返ってみた時に必ずそこにあるのが記録です。もちろん消えてしまった記録もたくさんあります。例えば、音楽。バッハがどのようにチェンバロを弾いていたのか、ショパンはプレイエルやエラールのピアノをどんなふうに響かせていたのか。こういった音声に関わるものはその音源を記録する媒体が科学・技術の進歩を待たねばならなかったために消えてしまいました。口承もそれを語れる人が絶えてしまったら消えます。世界では言語でさえも消えていきます。音声だけではなく、文字で表された記録でさえ、焚書・改ざんによりなくなります。歴史の常套手段ではありますが、過去において、前王朝の全てを否定しさるといった今となっては愚行も行われております。自らの正当性を示すために。

話は逸れましたが、人間が伝言を行うということは「存在」との関わりが指摘できるのではないかという着想が生まれました。人間は文字を持たない民族も口承という形で何かを伝え残す。文字を持つ民族は然り。存在があり、その下位カテゴリーに伝言が入ります。というのは、伝言から存在は生まれないからです。人類史という観点に立つと伝言に焦点を当て、人はその時何を伝えたのかという観点から一個の史観(歴史の見方)が出来上がっていくように思いました。

今回、「伝言」という新しい着想が生まれたのは、ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス』を読み始めたことによります。日本の歴史学者は、個別の歴史事象を書くことは得意ですが、大きな人類史といったものを書くのは苦手なようです。大学で歴史を放り出したのも、大きな歴史を書くことが自分には到底不可能ということに気づいたからです。前掲書はまだ読んでいる途中ですが、一つ大きな刺激になりました。

さて、3回にわたる論考シリーズは終わりです。最後はヒラメキを書いただけですが、レポートというものから、伝言というものに話が繋がったので、これで自分を納得させて、当初の目的である学習の記録を更新していこうと思います。

論考2

続き。超低クオリティなレポートが誕生する原因を①レポートがなんだかわかっていない、②新説を作らねばならない、の2点を挙げました。そして②に考察を加え、残る①を処理します。

①ですが、レポートとは一体なんなのでしょう?大学で課されるレポートとは?きっとこの答えは、「勉強の記録」ですね。卒論の指導教授は、大きなレポートだから心配するな、と学生に言っておりました。でも、先生、卒論ですよ!と僕はずっと思っていたのですが。大学生の僕は卒論は研究成果をまとめるものとずっと思っていたのですね。そもそも研究なんてしていないのに…話が逸れましたが、これはポイントで卒論が研究発表の場で新説を出す場ではないことがわかりました。教授が言っていた大きなレポートとは、たくさん勉強したことを示せれば良いとの意味でした。これは教授自身がおっしゃっていたことです。だからレポートは勉強したことを書けばいいのです。

では、勉強したことを書くとはどういうことか。これは、自分がたてたテーマに対して「調べた結果」を書くということだと思います。だから、何も新しい発見を書く必要はないのです。ネタ本をなぞったものでも悪くないのです。「しかし!」というお気持ち察します。

なぜレポートでは、ネタ本に書いてあることをいちいちまとめるのか。結論、それは「伝承」だからです。この「伝承」という言葉を使うと「民俗学」っぽくてイヤ(僕が民俗学が苦手なので)なので、「伝言」という言葉を使います(ポストモダンみたいでしょ)。

レポートの本質は、学ぶ世界の「共通知識」を初学者に身につけさせることです。これが「伝言」です。共通知識がなければその先に踏み込んでいけないのですから。だから、レポートはネタ本に沿っていても構わないはずですね(笑)。するとレポートのクオリティの高さとは、まとめる能力の高さということになりそうです。

さて、ここまででレポートが元ネタに沿っていることを肯定してきました。この後は、元ネタに沿うことの否定ではなく、なぜ、元ネタに沿うのかということをレポートの話ではなくて、大きなところに広げようと思います。続きは次回。

論考1

レポートを書くとはどういうことなのか、これについて多少の思いつきを書いてみようと思います。

このブログは管理人の勉強の備忘録ということですが、ご覧の通り滞りが目立っております!それなので、今日は備忘録を中断し弁解を込めて冒頭のテーマで一本書いてみます。

文系の学部に進学した人が避けては通れないレポートという厄介なものがあります。僕の嫌いなことが文章を書くことなので、大学では4年間この課題に悩まされました。周りにはどういうわけかこのレポートを10本提出するツワモノもいたわけですが、どうやって書いていたのでしょう?相場は、1本4000字なので、原稿用紙10枚です。そのツワモノ、提出期間が迫っているのに余裕そうでした…そもそもなぜレポートを書くのか、ということですが、これは勉強したことをまとめよ。ということでしょうね。ですが、僕にはこれがわからなかったのです。

文学部史学科で歴史を学んできました。そこで果たされるレポートですが、一体何を書けというのでしょう?例えば、「平安時代について」という課題が与えられたとします。学生はまず何を書こうかと悩みます。そこで授業で聞いたものや興味があったものを頭の中から引っ張り出してテーマを決め図書館へ走ります。「道長、道長、道長」とか言いながら藤原道長に関連する本をなん冊か漁ります。この時にちょうど自分が調べてみようと思っていたのとぴったりな本があった時には、ラッキー!よし、引っ張ろう。と思うわけです。今の学生ならコピペ。参考文献としてその本を挙げて引用すれば良いわけです。しかし、ここでちょっと待ってください。テーマも決まった、テーマにぴったりの本も見つかった。その本を読んでレポートに!課題解決っってなりそうなんですが、これ全く解決しないんです。1冊またはその本の中の1章分がテーマに関係するものとしても、それを丸々引用するわけには行かなし。そもそも、何をまとめんの?だって、自分が本を読んだ知ったことはその本に書いてあるじゃない!

そこで実際にレポートをどう仕上げたかというと、参考文献を数冊増やして(もちろんテーマに沿ったもの)それをらを上手く(したつもり)ミックスして出来上がり。複数のものから引っぱるから超低クオリティ!

さて、この超低クオリティのものが出来上がる背景を考えました。①レポートがなんだか分かっていない。②新説を作らなければという意識がある。この2点で話を進めます。

都合上②から行きます。歴史の本には大体どの本にも同じことばかり書いてあるんです。それも論文でも。どの部分が同じかと言いいますと、通説として常識(これは業界で)となっていることです。その常識を言わないと(踏まえないと)自分の説を証明できないからなんです。どの論文を見ても本を読んでも同じことばかり書いてあるなぁと退屈します。創造性のないのが歴史の世界だと、投げ出したくなります。はい、これといくつかの点から歴史を投げ出します。

続きは次回。①について。