Hallo!

こんにちは。たけちゃんねる管理人です。このブログでは管理人が知ったこと、使えるようになりたい情報を備忘録的にまとめていきます。話題は主に歴史と国際政治です。

お勉強・ドイツ語2

今日はMSNから。赤い皇帝ミヒャエル・シューマッハと家族のドキュメンタリーについて。Netflixで公開されるというそのドキュメントについての記事。

やはり、この表現はどう訳すのか?というのが問題。前回の記事よりは読みやすドイツ語。訳し方については徐々に勉強していこう。日本語としてはイミフなところあり。

ミック・シューマッハ、父について…「そのことについて全てを諦めた」

・9月15日からNetflixーDoku「シューマッハ」が放送される。

・その中で、シューマッハの家族が、家族の状況について明らかにする。

・ミック・シューマッハは彼の父について感情的に語る。

重大なスキー事故以来、シューマッハに対する情報の更新はない。シューマッハは元気なのか、どのような点で事故から回復しているのか明らかにされていなかった。

Netflixで放送される新しいDokuの「シューマッハ」はついにシューマッハ家族の生活への独占的にのぞいた。シューマッハの妻コリーナの隣で、レーサーのミックシューマッハとジーナマリーアも話にくる。特にミックの父に対する言葉には涙を流す。事故前と同じように父と話したり交流できなくなったことは、ミックをとても悲しませている。ドキュメントの初めに、ミックはインスタグラムのアカウントに父との感動的な写真を載せました。

ミック・シューマッハ:僕は今、別の方法でお互い理解できるようになると信じている。

父と僕は今別の方法で話せるようになる。簡単に。それは似たような言葉を話しているから。モータースポーツの言葉を。そして、よりたくさんの会話ができるようになる。僕はこのことだけは全部諦める。と、ミックは視聴者を裏切る。

彼は、残念ながら父と新しい体験や思い出を作ることができず、よく過去のことを思い出していた。

喜びのオーラは実に多くの瞬間にある。ドキュメンタリーの中で、シューマッハ一家がどれほど悲しんでいたかが明らかになる。それにもかかわらず、コリーナは「ミヒャエルはここにいる。違った形ではあるけれど、彼はここにいる。」と明らかにした。

お勉強。翻訳。

de.yahoo.comより適当な記事を翻訳していくお勉強を続けてみようと思います。訳文が拙い、そして何だかわからんところはご愛嬌!英語でいう無生物主語構文のようなのがドイツ語にもあるんだろうから確信を持てず、訳が適当になってる。前置詞が弱い。

 以前ニーダーザクセン州ガレルの人のいない農家で250頭の死んだ豚が発見されたが、今回、当局は二つの近くの畜舎で600頭の動物が死んでいるのを発見した。さらに、何年も前に死んだようだと、水曜日にクロッペンベルク警察は伝えた。49歳の男性所有者に対して畜舎の設置がについて取り調べられる。

 警察によるとその男は2012年からクロッペンブルク郡の飼育企業で豚を飼育していたようだ。そうするとおよそ10年世話をせず、殺してしまったようだ。そして2018年突然男は隣のオルデンブルク郡に引っ越してしまった。それ以来、農家と飼育施設は使われていない。

 犯行と同じ時期の8月の終わりに獣医師会の同僚は以前の男の農場で、250頭の豚の死骸に遭遇した。メディアの報道によると、それ以前にも地域の住民から指摘を受けていたと。この動物の遺骸はそれゆえ、白骨化し部分的には文字通りのミイラになっているとのこと。

 過去数日間のさらなる調査のうちに、当局は警察の報告の後に二つの近くの畜舎で他の600頭の豚の死骸を見つけた。

 男に対して動物保護法と動物の死骸の正しい処分に関する法律違反の疑いで刑法上捜査が行われる。当局によると男は動物の搬出をしなければならないという。

以上訳文。ぎこちない。ここが現状のスタートラインとして成長記録にしていこうと思います。

3ヶ月もほったらかしにして

ああ、早くやらなきゃ。と焦ることばかりの毎日ですが、あの能力が欲しいこの力を高めたいと思っている毎日です。

そんな時に焦って何かをいきなりやり出すわけですが、物事は少しずつ続けなければいけないわけです。だからやはり、続けなきゃで、続けなきゃ。

あれもこれもあるわけで、関係各所にご迷惑かけまくりで申し訳ないのですが、少しずつ終わらせていきます。

なんの勉強が進んだ?財務省と医師会のおかげでわけのわからん緊急事態宣言が延長されて図書館閉まるわ、どうしてそんなに足を引っ張りたいのか?わかりません。歴史の勉強が足りなさすぎるんだろうな、東京大学阿呆学部。勉強が進まないのを財務省様のせいにしておこう。財務省がお金を使わない話に引っ掛けて、ちょうど江戸時代の話をしているところなのでご紹介。

江戸時代に緊縮財政やりまくって経済の立て直しができなかった、というのは学校では習いません。というより学校の先生も知らないんでしょうな。教科書では新井白石、松平定信らがスーパースターのように扱われるから。僕に言わせれば儒教に毒されたただの二文字系。

新井白石は経済オンチ。そして、自伝の中でひたすら天才経済官僚荻原重秀をこき下ろす。そのおかげで資料があまり残っていない萩原は歴史の中の悪者。果たして結果は?新井白石の負け。どうしようもない経済オンチで何もうまい対応できなかった。緊縮がもてはやされますが、緊縮では何も解決しないのに緊縮財政。萩原の仕事は貨幣改鋳により市場の貨幣流通量を増やした。これで好景気がやってきたのです。インフレが心配とおっしゃるお方もおりましょうが、3%程度のマイルドなインフレです。現在の日銀は2%のインフレを達成したがっているのですよ。田沼意次も経済でいい仕事をしたのに。長崎貿易の活発化。日本が外国にものを売って稼ぐ。対する白石は、日本の金銀が流出するから貿易制限。あのう、稼ぐ気あるんですか?白石は儒学者なので稼ぐなんて全く考えてないんでしょうね。

これ、前にも書いてる気がする…

月末レポート

月末は音楽のはずでしたが、前月から滞っております。

高価な本の影響です。1ページ2〜3分の速度で読んでおりますと、1冊360ページ読むのに12時間から18時間ですね。なんだ1日で読み終わるんだ!ということは生来の怠惰がたたって…ごにょごにょ。

新発見!1日で読み終わる!怠けてただけだろ、と言われそうですが、人間の生活には色々あって…などといってみますが、この高価な本が面白いのですよ。県立図書館に眠ってるなんてもったいない。文字通り閉架書庫で人目に触れず眠ってます。逆寄贈してくれないかな。

2冊読み終えて、明治時代の幕開けから終わりまでが大体終わりました。次は大正時代に入りそう。明治初めの頃中央集権国家を作るにあたっては、江戸時代までの地方分権的な状態をいかに解消するかが課題でした。江戸時代の藩主と呼ばれる人たちが明治政府を作ったならまだしも、そうではなかったからです。維新の三傑とよばれる大久保利通・木戸孝允・西郷隆盛は各藩の藩主を抑えながら、時にはというか、島津久光はしょっちゅう邪魔されながら、政府を作り上げていきました。そして政策を実行していきました。藩主たちといっても、主に薩摩藩ですが、三傑も互いにそれぞれの思惑もあってうまくいかないこともありました。仲良くまとまって同じ目標を実行ではないんです。それぞれ目標に対して異なったことを考えながらも、話して妥協して時には強引に進めてるわけですからね。政治の動きがよくわかります。藩主だけでなく、士族階級の特権が失われることで、士族も反抗しますし、ぐちゃぐちゃな時代ですね。新しい政府を作り、仕組みを整え国家を運営する。その大変さは命がけです。木戸は病死、西郷は戦士、大久保は暗殺。もちろん暗殺は大久保さんだけじゃなく、近代の兵制を構想した大村益次郎もそうです。三傑の後には伊藤博文や大隈重信(明治の最初から仕事してるけど)といった第二世代といったらいいのか、仕事の中心が移ります。多くの人間に連絡を取り、こういう風にするんだ、いやそれはダメだ、というやりとりをずっと続けるわけです。それでも各プレーヤーの文句のない完全な一致には至らず、しぶしぶ了承するというような形で世の中動いているなというのが、これでもかと分かりました。

もっと簡単にして中学校の公民の教科書、高校の政治経済の教科書にしてもいいくらいと言うか、憲法だ、マクロ経済だなんてことを教える前に政治って何の基本的なことを教えてなくてよい市民なんて誕生しないのだから、むしろこういった教科書をつくるべき。ちなみに政治経済で教わる憲法って、東大憲法学に毒されたものなのでしょうから。ここ、要確認!

3月にアメリカの熱帯雨林から買った『A BRIEF HISTORY OF MODERN AMERICAN CONSERVATIVE MOVEMENT』を読み始めました。ちょっと単語で苦戦してますが。朗報として、年内に国内で再販されるようです。販売始まったら買おう。英訳の答え合わせが目当てです。

電車は動いているのに、マスクして喋らない図書館は閉館中。わけわからん。公立の学校も空いてるのに、静かな図書館は閉館中。マスクさせられてるのに。世の中不思議なことだらけですが、館内に滞在させず、本の貸し出しと返却だけなら開けていてもいいだろうに。ネットの事前予約で受け取りと返却の人は返却ポストを使わせてとやり方はあるだろうに。現在宅配で対応してくれているけれど、配送料かかるじゃん。ちなみに県立図書館の返却ポストが素晴らしかった。箱の中にただ落ちるのではなく、ローラーのついたスロープで回収されていくのはいいシステム。落ちると本が痛みますので。

図書館が閉まっているので、しばらく高価な本はお休み。なんてったって、1日で1冊読めることがわかったし(笑)しばらくは英文格闘。

高価な本の読み進み具合

GWに突入して、予定通り、読書を進めております。休暇中の課題は『日本政党史論』7冊を一日1冊ペースで読むことです。
が、昨日その第1巻を借りて読み進めていると、あら、1ページ2〜3分、程度でしょうか、5分かかっているのもあるかも。という具合で、早くても1時間に30ページ。360ページ程度あることを考えると12時間で1冊終わるかどうか…。先は長い。
ですが、今まで読んでいた新書などとは違い、その筋の専門書であり、かつ、新書を書いている専門家も読んでいる基本文献であることから、より、1次資料に近づいている感じがします。更に言えば、その筋の専門家が知っている基本的な知識、学問のベースに近づいていっている感じです。教科書・新書では物足りない部分を補っていく感じですかね。レベルは上がりますが、ワクワクします。
今回の本における強敵は、幕末から明治の人が書いた文章が馴染みにくいといった点です。文語調なところや「可奉申上」(申し上げ奉るべく)という表記の読みに慣れないところがスピードを落とす原因です。史料読解と心得て突き進んでおります。
明治維新により中央集権国家ができた!と教科書では教えますが、当事者の間ではそんな簡単なことではないことがわかってきました。江戸幕府が終わったといっても、各藩の藩主は生きており、維新の三傑といえども藩主の顔色を伺いながら、中央政府の仕事をし、調整のために藩に赴き、各藩の人間の心理を汲み取りながら、中央集権化に徐々に向かわせていくのです。教科書ではわからない「裏側・苦労話」ですね。細かなところですが、ここからまた大きな掴みで歴史を把握することができるようになるんだと思います。
20年前には余裕と覚悟がなかったけれども、こんな本を20年前にしっかり読めていたらという思いはとめどないです。勉強せねば。

静かに!

オーストラリアのクライブ・ハミルトン教授の『目に見えぬ侵略』。原著は、2018年にSilent Invasion: China’s influence in Australiaというタイトルで出版されています。

オーストラリアでは、金が取れます。そこで始まったのが、『白豪主義政策』です。白人のオーストラリアですね。1901年から1973年までの政策です。金の採掘のためにチャイニーズが大陸全土に広がってきたわけです。そこで、移民制限などの措置が取られていったわけです。日本人も白豪主義の影響を受けました。日本人だって人種差別されてましたからね。人種差別な政策であることは間違い無いでしょう。現在のオーストラリアはこの反省から、多文化主義を掲げています。

さて、現在のオーストラリはどうなってきたのかというと、やはりチャイナが問題になっているようです。チャイナ本土の政治体制を嫌い、オーストラリアへ来て、オーストラリアを祖国としてオーストラリアの意志を掲げる中国系オーストラリア人もいます。そうでない、チャイナ共産党、北京の意思をオーストラリアに広めるチャイニーズもいます。こちらが問題のようです。

このような北京の意思を広めるチャイニーズは、経済力を駆使してオーストラリアの政治家やメディアに入り込み、そこからオーストラリアの人たちを北京へ近づけていこうとしています。おかげでオーストラリアはだいぶ親中派が増えたようですが、ハミルトン教授の著作の出版や最近のチャイナの干渉から一気に方針が変わっていきました。チャイナの干渉排除へ向けて舵を切りました。

本の中で紹介されてますが、インフラ(電気・ガス)をチャイナ資本が買い取る、さらに港湾施設(ダーウィンという都市にありますが、オーストラリアの地図を思い浮かべてもらって、北にツノが二本生えてますよね、その左側のツノの西側にあります)までチャイナに買われています。インフラが抑えられるということは、有事にはチャイナに命を預けるようなものです。平時であっても、チャイナのいうことを聞くように飼われるということですね。流石に平時に電気を止めるというようなチャレンジングなあからさまなことはしないでしょうが、危険には変わりないですね。

日本は経済大国だったので、チャイナを危険視する必要はない、そんな危険なことしないよ、なんて思わせるように導かれてきましたが、どうもそうではないようですね。今も小学校高学年あたりでは、日中友好などという嘘が教えられているのでしょうが、僕は教えられましたが、嘘でしたね。日中友好とは、チャイナにとって都合の良い日本でいてくれよという意味です。こういうことが、よくわかる本です。そして、チャイナの見えない侵略が徐々に徐々に始まっているわけです。

京都がチャイナ資本に買われたり、北海道の土地がチャイナ資本に買われておりますが、これは日本人がチャイナではできないことです。京都がチャイナ資本に買われて、中華街ができたらそこはもう京都ではありませんね。京都の1200年の伝統(平安時代のものはほとんど残っておらず、秀吉によって町割もだいぶ変更されてますが)はどこへ行ってしまうのでしょう。

この土地の買収なんて、あからさまなサイレント・インベージョンですね。なぜチャイナが危険か。それは、共産党の意向に背くことは許されないからです。自由を侵害するのがチャイナですから、価値観が違いすぎます。

週に2回

今日もお勉強ブログです。

旧図書館も良かったのですが、あまり行きませんでした(笑)本を求めて新しい図書館に行ったのが、先日の日曜日。チャイナウイルスのせいか、日曜なのに旧図書館よりもすいてる感じでした。人の少ないことに越したことはないので、ここぞとばかりに探している本を少し読んできました。とても快適な空間でした。

最近はとあるコーヒーショップには飽きていて(そりゃそうですね、一度行くと4〜5時間滞在するんで)ちょうどいいところを見つけました。今日も朝から行って目的達成です。先日借りた本と買おうと思ってた本を読み終えてきました。『贈与の歴史学』と言う本です。中世を中心にものを贈りあうことをが、信用経済につながると言う話です。ひたすらものを送る話だけなので、日本の鎌倉特に室町時代は贈り物の時代のような認識になってしまいそうです。マルクス主義歴史学の終焉に際して、租税に対する新しい研究が始まったところから、今回の本のような研究がすすんでいるようです。そもそもマルクス主義歴史学なんざ、真実を見ようとしないタダのイデオロギーと言ったら怒られそうですが、研究者の態度として許せないですね。

本の紹介よりも、図書館が素晴らしいことを書かねば。色々蔵書を調べてみると、必要な本がだいぶ所蔵されていてこれはこれで勉強がはかどりそうです。そして、研究書は1冊が高い。稲造が一人、おっと!稲造から一葉に変わったんだ!一葉が一人すぐにいなくなります。ひどい時には諭吉が。そんな本が自動書架という簡単には人が取らないところにあるようなので、これはもう、僕専用ですね。

そして、新しい図書館の空間もいいですね。うん。あとは近くにご飯を食べるところがあればいいのだけど。週に2回ほど通えそうなので、休日は朝から籠ろう。

語学の勉強を中心に

今日もお勉強ブログです。タイトルにあるように、語学を中心に勉強しておこうと思って、嫌いな単語集とやらを探しに本屋へ向かいました。そこで、求めてるものには出会えませんでした。いくつかのものを見たら、このあたりの単語なら知ってる、というものだらけだったのです。そして、収録語数の多い単語集を手にとってみたら!あれ、これ辞書じゃん…。辞書的な配列の単語集でした。

そこで結論は、単語集で勉強しない。

ええええええええ!

はい。大学入試の時と同じように文章を読んで、その中で覚えていく。これに尽きる。

というのも、特殊な単語であったり、日常ニュース的な単語であったり、どちらも僕にとっては使い頻度が高いものなので、日常での接触を上げればいいのではないかということなのです。インテリジェンス関係の用語が普通の単語集に出てくるとは思えない。ということは、原典を読めばいいわけで、日常の政治経済ニュースならワシントンタイムズやyahoo.deでもなんでもあるわけで。

つまりは、読むことが最強の単語増強法。もしくは、辞書を頭に入れるか…

ということで今日も読みます。

そろそろガチで

このブログはお勉強備忘録で、国際関係メインのはずでしたが、月一の音楽ブログになってますね…

そこで、さらに路線変更しつつあるようです。訳あって、学習ブログを混在させることにしようと思います。というのも、そろそろ本格的に勉強しないと間に合わなくなりそうなので。どんなネタが書かれるのかというと、主に語学。英語とドイツ語とななな何と!くずし字なんざもやっていきます。はい、ただの趣味ではございません。3〜4年後の試験合格とその後の学習期間短縮のためです。そして、修行中の収入確保のためでもあります。僕の編集した教材が売れればいいんだけどな(笑)

さて、今日は何をしたかというと、近代文語文というのをスラスラ読めるようにならねばならないのです。そこで、吉川弘文館という歴史学の有名な出版社から出されている、『日本近代史を学ぶための文語文入門』という本を図書館で借りました。買えばいいのですけど、ちょっとお金を惜しむようになりました。まだ読み始めたばかりですが、漢文調の日本語が衰退した理由や、史料に当たった時に注意すべきことがわかりました。漢文の原典ならば漢字の語順でほぼ正確な解釈が可能ですが、漢文訓読体という日本人が漢文の読み方を真似して書いたものだと、漢字だけの原典がないので解釈にズレが生じるという恐ろしいことが。こういう点を知っていれば、筆で書かれてたミミズが這っているような文章を読めるようになった時に、一通り出ない解釈に注意ができるようになるのですね。

移転した県立図書館に行ってきましたが、とても快適な場所でしたので、しばらく休日は通う癖をつけていこうと思います。気分は受験生。

月末はオンガク11

3月の後半は急上昇と急下降をしていたせいでで気分も体調もすぐれないので、久しぶりにピアノの練習をしてみようと思いました。右手と左手、本当なら音をよく聞いてこう弾きたいと言うのも付け加えますが、電子ピアノなのでそこはごあいきょうと言いながらも考えなが練習してます。両手、譜読み、音楽構成なんてことを考えながら(ピアノの上手い方がなさってるようなことはできませんが)練習していると没頭して、精神衛生上いいですね。弾けるようになっていく感じと、こういう風に弾きたいと考えていたら余計なことなんて考えられなくなります。ただ、問題なのは時間を忘れることです。沖縄に来てから1曲も仕上げていないので、今年はこれをしっかり弾けるようにしておこうと思います。それにしてもしばらくまともにピアノに触っていなかったので、レパートリーも無くなってしまったような状態…

さて、今日ご紹介いたします曲はショパンのノクターン20番、遺作です。1830年に作曲されました。2002年に公開されたロマン・ポランスキー監督の映画『戦場のピアニスト』でも使われていました。この映画は、第2次大戦のワルシャワを舞台とした映画で、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記をもとにして制作されました。多くのピアニストがショパンを弾きますが、今日はせっかくですので、シュピルマン御本人の演奏でお聞きください。https://youtu.be/n9oQEa-d5rU