2020年はインドネシア独立『75』年です。8月17日が独立した日です。んんん?75年前の8月17日だって?それって1945年8月17日ですよね。今日はこの辺りの成果をまとめます。内藤陽介さんのお話から。
インドネシアは蘭印と呼ばれて、オランダの植民地でした。①そこへ「大東亜共栄圏」という輝かしい理想を掲げ、大日本帝国がアジアの解放のためにオランダ軍からインドネシアを…とか、②インドネシアのお金に独立宣言が印刷されていてそこに「05」という数字があって、それは「皇紀」2605年なんだ。だからインネドネシアは親日で…
というのは、果たしていかがなものか。
①②のようなことを掲げて大日本帝国を語って気持ちよくなりたい人もいますが、実際はそうではありません。日本はインドネシアを占領しますが、その目的は石油の獲得です。戦前日本はアメリカから石油を輸入していましたが、フランス領インドシナ(ベトナム)への進駐をきっかけにアメリカから石油輸出禁止という措置をくらいました。ですから石油が足りなくなって、獲得のためにインネシへ向かったわけです。そこでインネシを占領しました。
1945年3月、戦況が怪しくなってきているところで、日本は方針を変更します。石油資源の獲得ではなく、親日国を作り出そうとするのです。そこで、占領当初に解放しておいた国家主義者たちの力を借ります。彼らに独立憲法を審議させたり、軍事訓練などをして結果的にその後の独立の際に役立つことになりました。45年8月7日にスカルノが独立準備委員会を作って、第1回の会議を18日にしようと決めました。しかし、15日に玉音放送があり、日本の軍政当局が進めた独立準備が中止になります。そこで17日にスカルノが独立宣言を発表しました。
さて、ここだけ見ると、なんだ日本がきてインネシは独立したじゃないか。日本軍が準備手伝ってやってるじゃないか。ふむふむ、日本は立派だなぁと思うかもしれませんが、そこが重要なポイントです。行政上の仕組みが関わってくるのです。これを知らないとただのネトウヨです。8月15日に玉音放送で終戦を迎え、その後は武装解除しなければならないのですが、それは連合国がやってきて彼らに引き継ぐという手続きを終えてからです。その手続きをするには正式に休戦してから降伏文書に調印しなければなりません。だから、15日の玉音放送で終戦、それではさようならと言って日本に帝国軍が帰るわけにはいかないのです。降伏文書に調印調印し、連合国側に引き渡してそれからさようならと言って引き揚げるわけです。『近代』の軍であり、軍も役所なので、正式な手続きを踏まなければならないのです。
さて、そこで、②皇紀2605年です。皇紀とは、神武天皇が即位した年を元年として数えていく年号です。インネシの独立宣言に2605年8月17日とあるのは、親日だからでも、独立解放を日本に感謝しているからでもありません!8月17日は、まだ日本の施政権下にあったのです。降伏文書に調印して連合国が来るまでは、当事国が治安維持なりに当たるのが正式なルールなのです。当地に責任を持つのです。ですから、8月17日の独立宣言は日本の施政権下で出されたものであり、その時の公式文書として皇紀が使われたのです。
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