揺れるテンポ

月末なので音楽の話題を。今日はショパンのバラード2番です。1839年に完成し、ロベルト・シューマンに献呈された曲です。

冒頭はドの音のユニゾンから始まり、テクニックに関しては難しくはないおだやかな序奏です。僕はこの46小節までの第1主題が好きです。47小節目から激しい第2主題が現れますが、それほど好んで聴きたい部分ではありません。この曲の肝は第1主題だ!と思っております。

さて、冒頭から46小節、これをどのように演奏するのか。もちろん楽譜通りに引いて美しいことは変わりないのですが、ハッと驚いた演奏が、ジャン・マルク・ルイサダのものです。このテンポの揺れは!!!気持ちいいのです。非常に。楽譜を見てみると、そこはそんなにのばさないし、8分音符!4分音符!ですよ!!と。揺らぎと強弱がとても心地よい演奏です。

ルイサダさんは、大学にいる頃よく聴きに行きました。気さくにサインや写真撮影にも応じてくれたのです。bon soir monsieur! って。maestro, merci. trebien!と僕は言うのが精一杯。素敵な演奏をまた聴きに行きたくなります。

law & order!1

伊藤俊幸元海将と江崎道朗さんのお話からです。アメリカが荒れています。武漢ウイルスだけでなく、Antifaやblack lives matterと。その中で取りざたされる軍隊の出動についてです。

トランプ大統領が、黒人抗議のデモに国軍の出動をすると警告したのはご存知のことと思います。これが問題なのですが、なぜ問題なのか背景を探ってみましょう。

根幹には、アメリカは自由と民主主義の国であるという建国の理念があるようです。合衆国憲法が制定された1787年の4年後91年に追加されたMilitiaに、「規律ある民兵は自由な国家の安全保障にとって必要であるから国民が武器を保持する権利は侵してはならない」と書いてあります。王制から逃げてきた自由を求める人たちが、自分で自分を守るということで作る民兵です。この民兵が形を変えて州兵(National Guard)になりました。独立戦争のときには、民兵だけでは心もとないということで軍事のエリートが加わることもありましたが、終わるとすぐに動員解除です。常備軍を持ちたくないのです。

「常設軍の否定」、つまり軍事の専門家を持たないのです。常備軍を持つということは、自由と民主主義を脅かすことになりかねない。テクノクラート(専門家)の常備軍は権力を持ち、軍事国化することも予想されます。だから自分たち(国民の手で)で自由と民主主義を守るのが大切である。だからこそ庶民(people)の国であり、テクノクラートの国ではない。国民の手で自由と民主主義を守るというのが合衆国建国の理念なのです。

1878年にPosse Comitatus Act(民警団法)というのが成立し、「治安維持に軍隊動員しない」ということが決定しました。これが今でも米軍が米国民に武器を向けないという不文律になっています。続きはまた。

トウガラシ1

南米はアメリカにとって重要な足場です。ここがぐらついてくると安心して世界戦略が立てられません。アルゼンチンに続いて、今日は「チリ」です。南米の細長い国で、沖合を寒流のペルー海流が流れているためアタカマ砂漠があったり、世界最大の露天掘り銅山チュキカマタがあります。ワインも有名ですね、コンビニでも安く売ってます。

1960年代は米ソ冷戦です。55年からベトナム戦争が始まっています。アメリカとソ連の代理戦争ですが、アメリカが参戦するのは63年になってからです。なぜタイムラグが発生しているのかというと、62年にキューバ危機、これを抑えてからの参戦です。そして、80年代にはイラン・コントラ事件というのがあります。イランとアメリカは仲が悪いのですが、82年にレバノンのヒズボラがアメリカ人人質事件を起こします。これを解決するためにアメリカはイランと秘密取引(武器を売る)をします。そしてその利益をニカラグア(当時は左翼政権、メキシコから南米へつながる細い部分にある国)の親米反政府民兵コントラに流したのです。イランと手を結んでも自分の周りの安定を図るのです。

1960年代から70年代初めのチリの政治の主役はチリ社会党のサルバドール・アジェンデです。彼は共産党と手を組んで選挙で政権を目指します。アメリカは冷戦の時代なので、CIAを通じて対立候補を応援します。これに反応してソ連がアジェンデを応援します。まさに米ソの代理戦争が行われます。選挙ではアジェンデが勝ちました。自由選挙で社会党が勝ったのです。アメリカはこの結果に驚き、危機意識が芽生えます。そんな中、社会主義国と国交を結んだり、企業を国有化したりと左翼系な政権を行い、さらには銅山の国有化によりアメリカを怒らせてしまいました。1973年9月11日にアメリカCIA黙認のアウグスト・ピノチェト将軍によるクーデタで、アジェンデを自殺に追い込み軍事政権が始まりました。初めは戒厳令を出していたのですが、74年から民政復帰をやりますが実質は軍事政権です。議会制民主主義を否定し、軍事政権による独裁で人権弾圧をします。ピノチェトが退陣するまでに亡くなった人・行方不明者も多く、亡命者は当時の人口の10パーセント、100万人です。南米はスペイン語を使う国が多いので、外国に行きやすいのですね。めちゃくちゃな軍事政権です。チリの奇跡という経済発展がありましたが貧富の差は拡大します。

ある程度開発が進むと独裁が維持できないのが、開発独裁の姿です。経済が良くなるまでは人権や自由は我慢させます。しかし開発が進むと我慢できなくなるんです!経済成長中のチリではありましたが、89年にピノチェト大統領の任期満了が近づいており88年に任期延長のための国民投票をしましたが、否決され、89年に大統領選挙が行われました。この89年は6月に天安門事件、11月にベルリンの壁崩壊と東西冷戦終わりの年でした。アメリカがピノチェトの軍事政権を黙認していたのは左翼の政権が出てくるのを防ぐためでした。冷戦が終結するともはやピノチェト政権を支える意味がなくなり、ピノチェト政権は後ろ盾をなくしました。ピノチェトは海外へ亡命しますが、独裁政権時代の人権問題などが降りかかってきます。こうしてチリは民主化へと移行します。続きはまた。

常習!ダメ、ゼッタイ。4

ペロニスタ、キルチネル夫妻の妻の方、クリスティーナ政権の続きです。パタゴニアの宇宙基地(人工衛星の追跡をする)をチャイナの人民解放軍に貸してしまいました。

クリスティーナはチャイナから武器を買ったり軍艦を買ったりして、しかもその軍艦の名前は「マルビナス」。マルビナスとはフォークランド諸島のことです。こういった動きに対して、アメリカは危機感を強めます。南米の重要なところにチャイナがやってきますので。さらにアルゼンチンあフォークランド諸島のことでイギリスを煽ります。マルビナスなんて名前を軍艦につけるのですから。そして、チャイナから武器を買ったり。こうした動きではもう一度アルゼンチンがフォークランドにちょっかいを出すのではと思わせてしまいます。衛星で情報をとってチャイナと何か始めるのではないだろうか、と。

こんな状況の中で2015年大統領選挙を迎え、クリスティーナは危ないという認識からか、野党連合が建てた候補者、この前まで大統領でしたマウリシオ・マクリ候補が当選しました。彼は、クリスティーナの路線から180度転換して市場原理主義の政策をとります。バラマキをしない緊縮財政で国債を発行し借金を返す、親米、中国に対して厳しくという路線です。チャイナに貸した宇宙基地は人民解放軍が使ってはいけない、民間利用にせよ、武器をチャイナから買わない、排他的経済水域に入ってきたチャイナの漁船を撃沈(違法操業ですから)させる。ですが、チャイナから完全に離れることはできません。アルゼンチンはお金ないので。しかし、こう言った姿勢は大切だと僕は思います。マクリ政権は自由主義政策で経済を復興させようと頑張ったのですが、ドル為替自由化を行い1ドル9.8ペソから50ペソまで急落し失業率35%。経済的に苦しくなってしまいました。自由主義政策で経済の復興を図ろうとしたのですが、体力がないうちにやりすぎてかえって経済が悪くなってしまったのです。何処かの国でも景気が回復しないうちに増税ということをやった国がありますが。こうして、次の選挙を迎えるわけですが、そこに登場するのはペロニスタです。ペロニスタは右から左まで、様々な考えを持った人が集まっています。どうやら、日本の自民党もその様で、親中派から保守までみんないる様です。その点だと似ていますね。

2019年の選挙では大統領にペロニスタのフェルナンデス候補、副大統領にクリスティーナです。そうです、チャイナに宇宙基地を貸して武器を買ったクリスティーナです。フェルナンデスさんは、クリスティーナが大統領の時の首相で、ある意味番頭さんです。つまり、この政権が誕生すると、フェルナンデスさんが大統領になっても実質クリスティーナが運営するということになる様です。そして、2020年6月現在ではフェルナンデスさんは大統領になっています。このペロニスタ政権は前の政策である緊縮財政を全部ひっくり返します。お金ばら撒きますよ〜。デフォルトが予想されます。そうそう、クリスティーナのバックについているのは、エル・チーノというニックネームを持ったもう、チャイナのエージェントといってもいい人です。中国路線の復活ですね。

2020年5月下旬にアルゼンチンのテクニカルデフォルトが発表されましたね。アルゼンチン9回目のデフォルトですかね?もうデフォルト慣れしてる。ということで、タイトルはこれでした。

最後に気をつけておきたいのは、南米の半分くらいが親中派になってしまうということです。国際政治という面で、アメリカとチャイナの動きは大きいですね。日本人も世界地図を見て、どう動くか考えたいものです。チャイナの仲間になりたいとは僕は思いません。だって、自由に物言えないじゃないですか!

常習?ダメ、ゼッタイ3

民政復帰後のアルゼンチンです。復帰後は二大政党の時代になります。急進市民同盟と正義党(ペロニスタ、対米自立、労働者貧困者層へのバラマキ)で政権を回します。復帰後は急進市民同盟が政権を取っていましたが、経済政策で立ち行かなくなり、ペロニスタへバトンタッチです。ここで登場するのが、カルロス・メネム大統領です。彼は、ペロニスタですが、バラマキをしない、比較的親米、外資を導入と、ペロニスタらしからぬことをします。しかしながら本人はペロンに影響を受けたというのです。新自由主義的な政策をとってなかなかうまくいっていたのですが、1997年にアジア通貨危機起こります。アジアからラテンアメリカに波及します。ここで、メネム政権は外資を導入流ということで1ドル1ペソの固定レートだったのです。経済状況が悪化し、政権交代が起こります。そして、新しく誕生したデ・ラ・ルア政権でデフォルトです。2001年のことです。

次に誕生するのが現在のアルゼンチンにつながるキルチネル政権です。ペロニスタ政権です。しかし、メネム政権(民営化)とは逆の政策をとります。夫ネストルと妻クリスティーナと夫婦がそれぞれ大統領を務めます。まずは夫(2003年から2007年まで大統領)の方から。夫は前政権でデフォルトになったことで経済的には苦しいのですが、決断をしました。「対外債務は返済しない!」、国内経済を優先して立て直すと。これにより経済は上向きです。返すべき借金を返さないわけですから当然ですが。GDPは上がり、インフレ率、失業率の低下しました。そうはいってもお金はあるわけではないので、どこかからお金を引っ張り出してきます。それが、対米自立という思想で、反米左派勢力に近づいていきます。ブラジルのルーラ、ベネズエラのチャベス、キューバのカストロと周りにはうようよと。カストロさんはお金ありませんが、ベネズエラは当時原油高、ブラジルも資源高で潤っておりました。アメリカのお金を貸してた側とは喧嘩しますが、このあたりからチャイナと近づいていきました。

ネストルは健康上の問題で大統領に再任されていませんが、妻のクリスティーナが大統領に当選しました。しかし、彼女がそのポストに就いた2007年には原油も価格が下がってきて、チャベス大統領もお金を出せなくなってきます。左派系の政権からお金を引っ張ってくることはできない!2014年にアメリカのファンドがアルゼンチンに対し国債の元本の返還を求め訴訟を起こし、ファンドが勝訴します。これを期日の6月30日までに返さないと、、、デフォルト!です。こうしてお金に困ってくると、チャイナファイナンスの登場です。こうしてチャイナとの関わりが強くなってきます。裏側にいたのはチャイナのエージェントかと疑われる毛沢東主義者のカルロス・ザニーにという側近がいます。クリスティーナとチャイナとの結びつきが強くなってきました。

アルゼンチンのパタゴニアには宇宙センターがあります。これはなんとチャイナの人民解放軍が使ってます。秘密条項を含む計ヤックで50年間チャイナに敷地を貸しました。さて、クリスティーナは何を考えているんでしょうか。続きはまた。

常習?ダメ、絶対!2

大統領選に勝利したペロンですが、彼は支持基盤がない(もともと軍人だから)ので、正義党という政党を組織しました。そしてこのペロン政権がやったことは、左派ポピュリズムというもので、戦時中にドイツとイギリスに牛肉と小麦を売って儲けたお金をバラマキ、外資系企業を接収し、国営化、貿易も国家が管理します。お金のバラマキをするのは、国民にとって嬉しいことですが、いうことを聞く労働組合と聞かない労働組合とでは、扱いが異なります。聞かない方は弾圧。

こういった中で、妻のエビータが登場します。彼女は国会議員でもなんでもありません。大統領の夫人です。エバ・ペロン財団というものを設立し、女性や貧困者救済を行います。その財源はどこ?富裕層に課税して…ということをやり、反対派はペロン大統領が抑える。牢屋に入れたりと。ペロン大統領はエビータ人気にあやかっていたところがあります。エビータがなくなった後、ペロン人気に陰りが見え、離婚法を導入後カトリック教会と対立し、反ペロン派の軍事クーデタにより、ペロンは亡命します。この間ペロンの作った正義党は非合法化されますが、アルゼンチン国内での政治は安定せず、実はペロン人気も衰えません。この軍事政権の後は中道右派のフロンディシ政権が登場します。この政権も、ペロン政権のように対米自立を掲げます。時のアメリカ大統領はケネディです。南米に経済支援をします。フロンディシ政権はキューバとアメリカの仲立ちをしようとしましたが失敗しました。そしてこれが元で失脚。国民からペロンが呼ばれて返り咲きます。しかも大統領、70歳超えてます。翌年死去。

正義党(ペロニスタ)には明確なイデオロギーはありません。対米自立と労働者・貧困者に対するバラマキ。ペロンの死後、二人目の妻のイザベラが大統領になりますが、彼女には明確な政治のビジョンはありません。そこでペロニスタは分裂。この後オイルショック後にまたクーデタ。どうしてもうまくいかない中で、起死回生のフォークランド紛争を起こしますが、イギリスに返り討ちにされます。イギリスにとってフォークランド諸島は、英領南極を管轄する場所でした。だから、フォークランドを取られるとイギリスは南極への足がかりをなくしてしまうのです。そんな中で、アルゼンチンの軍事政権は遠いところにあるちっちゃいよわっちいだろうと思われるイギリスに戦争を仕掛けますがやられてしまいました。しかし、当時の国際世論は圧倒的にイギリス不利でした。アメリカ、アルゼンチンの不安定化を恐れていました。東西冷戦の時代でもあったので、南米の安定化をアメリカは求めていました。このフォークランド紛争の敗戦により、軍事政権はなくなり民主化しました。ペロンの時代から現在の民主化までの流れでした。