高価な本の読み進み具合

GWに突入して、予定通り、読書を進めております。休暇中の課題は『日本政党史論』7冊を一日1冊ペースで読むことです。
が、昨日その第1巻を借りて読み進めていると、あら、1ページ2〜3分、程度でしょうか、5分かかっているのもあるかも。という具合で、早くても1時間に30ページ。360ページ程度あることを考えると12時間で1冊終わるかどうか…。先は長い。
ですが、今まで読んでいた新書などとは違い、その筋の専門書であり、かつ、新書を書いている専門家も読んでいる基本文献であることから、より、1次資料に近づいている感じがします。更に言えば、その筋の専門家が知っている基本的な知識、学問のベースに近づいていっている感じです。教科書・新書では物足りない部分を補っていく感じですかね。レベルは上がりますが、ワクワクします。
今回の本における強敵は、幕末から明治の人が書いた文章が馴染みにくいといった点です。文語調なところや「可奉申上」(申し上げ奉るべく)という表記の読みに慣れないところがスピードを落とす原因です。史料読解と心得て突き進んでおります。
明治維新により中央集権国家ができた!と教科書では教えますが、当事者の間ではそんな簡単なことではないことがわかってきました。江戸幕府が終わったといっても、各藩の藩主は生きており、維新の三傑といえども藩主の顔色を伺いながら、中央政府の仕事をし、調整のために藩に赴き、各藩の人間の心理を汲み取りながら、中央集権化に徐々に向かわせていくのです。教科書ではわからない「裏側・苦労話」ですね。細かなところですが、ここからまた大きな掴みで歴史を把握することができるようになるんだと思います。
20年前には余裕と覚悟がなかったけれども、こんな本を20年前にしっかり読めていたらという思いはとめどないです。勉強せねば。

静かに!

オーストラリアのクライブ・ハミルトン教授の『目に見えぬ侵略』。原著は、2018年にSilent Invasion: China’s influence in Australiaというタイトルで出版されています。

オーストラリアでは、金が取れます。そこで始まったのが、『白豪主義政策』です。白人のオーストラリアですね。1901年から1973年までの政策です。金の採掘のためにチャイニーズが大陸全土に広がってきたわけです。そこで、移民制限などの措置が取られていったわけです。日本人も白豪主義の影響を受けました。日本人だって人種差別されてましたからね。人種差別な政策であることは間違い無いでしょう。現在のオーストラリアはこの反省から、多文化主義を掲げています。

さて、現在のオーストラリはどうなってきたのかというと、やはりチャイナが問題になっているようです。チャイナ本土の政治体制を嫌い、オーストラリアへ来て、オーストラリアを祖国としてオーストラリアの意志を掲げる中国系オーストラリア人もいます。そうでない、チャイナ共産党、北京の意思をオーストラリアに広めるチャイニーズもいます。こちらが問題のようです。

このような北京の意思を広めるチャイニーズは、経済力を駆使してオーストラリアの政治家やメディアに入り込み、そこからオーストラリアの人たちを北京へ近づけていこうとしています。おかげでオーストラリアはだいぶ親中派が増えたようですが、ハミルトン教授の著作の出版や最近のチャイナの干渉から一気に方針が変わっていきました。チャイナの干渉排除へ向けて舵を切りました。

本の中で紹介されてますが、インフラ(電気・ガス)をチャイナ資本が買い取る、さらに港湾施設(ダーウィンという都市にありますが、オーストラリアの地図を思い浮かべてもらって、北にツノが二本生えてますよね、その左側のツノの西側にあります)までチャイナに買われています。インフラが抑えられるということは、有事にはチャイナに命を預けるようなものです。平時であっても、チャイナのいうことを聞くように飼われるということですね。流石に平時に電気を止めるというようなチャレンジングなあからさまなことはしないでしょうが、危険には変わりないですね。

日本は経済大国だったので、チャイナを危険視する必要はない、そんな危険なことしないよ、なんて思わせるように導かれてきましたが、どうもそうではないようですね。今も小学校高学年あたりでは、日中友好などという嘘が教えられているのでしょうが、僕は教えられましたが、嘘でしたね。日中友好とは、チャイナにとって都合の良い日本でいてくれよという意味です。こういうことが、よくわかる本です。そして、チャイナの見えない侵略が徐々に徐々に始まっているわけです。

京都がチャイナ資本に買われたり、北海道の土地がチャイナ資本に買われておりますが、これは日本人がチャイナではできないことです。京都がチャイナ資本に買われて、中華街ができたらそこはもう京都ではありませんね。京都の1200年の伝統(平安時代のものはほとんど残っておらず、秀吉によって町割もだいぶ変更されてますが)はどこへ行ってしまうのでしょう。

この土地の買収なんて、あからさまなサイレント・インベージョンですね。なぜチャイナが危険か。それは、共産党の意向に背くことは許されないからです。自由を侵害するのがチャイナですから、価値観が違いすぎます。

週に2回

今日もお勉強ブログです。

旧図書館も良かったのですが、あまり行きませんでした(笑)本を求めて新しい図書館に行ったのが、先日の日曜日。チャイナウイルスのせいか、日曜なのに旧図書館よりもすいてる感じでした。人の少ないことに越したことはないので、ここぞとばかりに探している本を少し読んできました。とても快適な空間でした。

最近はとあるコーヒーショップには飽きていて(そりゃそうですね、一度行くと4〜5時間滞在するんで)ちょうどいいところを見つけました。今日も朝から行って目的達成です。先日借りた本と買おうと思ってた本を読み終えてきました。『贈与の歴史学』と言う本です。中世を中心にものを贈りあうことをが、信用経済につながると言う話です。ひたすらものを送る話だけなので、日本の鎌倉特に室町時代は贈り物の時代のような認識になってしまいそうです。マルクス主義歴史学の終焉に際して、租税に対する新しい研究が始まったところから、今回の本のような研究がすすんでいるようです。そもそもマルクス主義歴史学なんざ、真実を見ようとしないタダのイデオロギーと言ったら怒られそうですが、研究者の態度として許せないですね。

本の紹介よりも、図書館が素晴らしいことを書かねば。色々蔵書を調べてみると、必要な本がだいぶ所蔵されていてこれはこれで勉強がはかどりそうです。そして、研究書は1冊が高い。稲造が一人、おっと!稲造から一葉に変わったんだ!一葉が一人すぐにいなくなります。ひどい時には諭吉が。そんな本が自動書架という簡単には人が取らないところにあるようなので、これはもう、僕専用ですね。

そして、新しい図書館の空間もいいですね。うん。あとは近くにご飯を食べるところがあればいいのだけど。週に2回ほど通えそうなので、休日は朝から籠ろう。

語学の勉強を中心に

今日もお勉強ブログです。タイトルにあるように、語学を中心に勉強しておこうと思って、嫌いな単語集とやらを探しに本屋へ向かいました。そこで、求めてるものには出会えませんでした。いくつかのものを見たら、このあたりの単語なら知ってる、というものだらけだったのです。そして、収録語数の多い単語集を手にとってみたら!あれ、これ辞書じゃん…。辞書的な配列の単語集でした。

そこで結論は、単語集で勉強しない。

ええええええええ!

はい。大学入試の時と同じように文章を読んで、その中で覚えていく。これに尽きる。

というのも、特殊な単語であったり、日常ニュース的な単語であったり、どちらも僕にとっては使い頻度が高いものなので、日常での接触を上げればいいのではないかということなのです。インテリジェンス関係の用語が普通の単語集に出てくるとは思えない。ということは、原典を読めばいいわけで、日常の政治経済ニュースならワシントンタイムズやyahoo.deでもなんでもあるわけで。

つまりは、読むことが最強の単語増強法。もしくは、辞書を頭に入れるか…

ということで今日も読みます。

そろそろガチで

このブログはお勉強備忘録で、国際関係メインのはずでしたが、月一の音楽ブログになってますね…

そこで、さらに路線変更しつつあるようです。訳あって、学習ブログを混在させることにしようと思います。というのも、そろそろ本格的に勉強しないと間に合わなくなりそうなので。どんなネタが書かれるのかというと、主に語学。英語とドイツ語とななな何と!くずし字なんざもやっていきます。はい、ただの趣味ではございません。3〜4年後の試験合格とその後の学習期間短縮のためです。そして、修行中の収入確保のためでもあります。僕の編集した教材が売れればいいんだけどな(笑)

さて、今日は何をしたかというと、近代文語文というのをスラスラ読めるようにならねばならないのです。そこで、吉川弘文館という歴史学の有名な出版社から出されている、『日本近代史を学ぶための文語文入門』という本を図書館で借りました。買えばいいのですけど、ちょっとお金を惜しむようになりました。まだ読み始めたばかりですが、漢文調の日本語が衰退した理由や、史料に当たった時に注意すべきことがわかりました。漢文の原典ならば漢字の語順でほぼ正確な解釈が可能ですが、漢文訓読体という日本人が漢文の読み方を真似して書いたものだと、漢字だけの原典がないので解釈にズレが生じるという恐ろしいことが。こういう点を知っていれば、筆で書かれてたミミズが這っているような文章を読めるようになった時に、一通り出ない解釈に注意ができるようになるのですね。

移転した県立図書館に行ってきましたが、とても快適な場所でしたので、しばらく休日は通う癖をつけていこうと思います。気分は受験生。